シーズンオフの、GPに参戦までの、いろいろ。

 最終戦のつくばが終わって、ここからGPさんのために何を準備して、どう動かないといけないか・・・

まずは、車両を、どのようにヨーロッパに送るか?

監督の福田さんの紹介でオランダにあるワークショップを間借りすることが決まった。

で、何が必要で、いつまでに?どこに持っていって、必要な書類は・・・

まず、翌年にRS125は2台

そして1年分のパーツの用意・・・

私は、この時、サラリーマンだったので、竹島さんが用意してくれた、スポンサー等のお金を有効に使うためには会社を立ち上げた方が有効に使えるということで、その時は会社名に自分のイニシャルを使う会社はないだろうという理由で有限会社K&Tを設立(今に至る)。

この時の法律では、同県内で同じ会社名があると再申請に2週間かかるとのことなので、日程を考えると、イニシャルを会社名にすれば重なることはないだろうと。(^^)

 

船で20フィートコンテナに入れて、発送することにした。

コンテナの中にハイエースを入れ、ハイエースの中にバイクやパーツを詰め込み、その年は日本ダンロップとの契約で、いったん日本の私の会社に送ってもらい、コンテナに詰め込んだ(確か80本ほどあったかと)

船便だと約2ケ月かかるため、確か2月の頭には発送していたかと。

メカニックは、監督の福田さんの紹介で250に乗っていた人がしてくれることに。

ヘルパーは英語ができる(私は英語は1だったので^^)人を先輩の紹介で来てくれることに。2人は関東の人。(その後、関東、関西で・・・・問題が^^)

私のチームは私、メカニック1人、ヘルパー兼通訳で1人という体制で、1988年は戦うことになりました。

 

3月の末ごろに成田を出発。

オランダについて、バイクをピックアップ・・・・・

がしかし、この時、真の悪いことにオランダでは日本でいうところのゴールデンウイークのような連休で・・・・

当然、港も動いてないので、バイク、車をピックアップできず・・・

5日間ほどホテルで過ごし、何もすることがなく・・・・しかし、私は日本と違って湿度が低いヨーロッパでいきなり、のどの調子が悪くなり、ホテルで水を注文すると、今でいうところの炭酸水を渡される。

余計にのどが・・・(^^)

最初のころは何を買えばいいのかもわからなかったので、炭酸水を振って炭酸を抜いて飲んでいた。(スーパーで炭酸の入ってない水を見つけた。しかし炭酸の方が安い^^)

 

休みが明けて、ハイエースをピックアップできて、そこから今度は、ハイエースの後ろにキャンピングカーをつなぐための部品をつけてもらい、キャンピングカーを購入(中古)

ハイエースにキャピングカーを引っ張る感じで、参戦することになる。

ワーククショップでは、マシンのOHをして・・・・

なんだが、メカニックは、17時になったら帰るといい、キャンパーを置いてあるキャンプ

場に帰ってしまう。

別にいいのですが・・・・・ばらしたままで・・・・

せめて、オイル分を脱脂してウエスの上に並べておけば、翌日組めるのに、とおもい。

メカニックはキャンプ場に帰ってしまってから私は残って、脱脂していた。

このとき、チームメイトの畝本さんのメカニックも同じように作業していたので、いつも同じくらいの遅い時間まで整備をしていた。

あるとき、監督の福田さんから「高田、何か気に入らないことがあるんじゃないか?」と。

福田さんから、私たちの不陰気がよくないと思って、うやむやにしてたら半年持たないから、開幕前に、話し合ったらどうだと。

そして、話をすべくテーブルにつくと・・・・

私は関東弁というか関西と違う話し方に違和感があってなんだかやる気があるのか?ないのか?がわからん。と

そしたら高田君のそのしゃべり方がいつも怒ってるように聞こえると・・・(^^)

日本にいると、周りが普通にいられる、ヨーロッパにつくと当然だが普通に日本語を話せる人はいない。

だから、日本ではなんでもない方便によるお互いの気分を害していたようで、どうしたらいいかと京都出身の福田さんに聞いたけど。方便が理由だと・・・・

日本に出るときに富樫エンジニアリングの人に、「ヨーロッパに言ったら、方便を使わず中国語みたいなイントネーションの日本語を話すことでコミュニケーションを取ればいいと言われことがあった。(こういうことか・・・と思った)

この件からは、私はあまり気にしないようにすることにした。

 

 

 

 

オランダについてから、お世話になるアライヘルメットにいたフェリーさんの計らいで、初戦のスペインGPのエントリーの交渉をしてくれていた。

この時のGPは、ランクが5つほどあって

1, 前年度ランキング15位まで

2, 前年度ランキング16位以下で確か30位くらいまでだったかな?

とヨーロッパ選手権のランキング3位まで?と各国のチャンピオン(ここに畝本さんが)

3, 前年度ランキング31位以下

4, 前年度GPでポイントを連れず、予選通過したものと、各国のランキング2位(私はここに入る)

5, ヨーロッパ選手権、ヨーロッパの各国の選手権に参戦したライダー。

 

とランクがあって、私は4番目。

でエントリーするにあたりスペインでこの時125はメインレースのためエントリーがたくさんあって、最初は私のエントリーはダメだった。

3回ほど交渉の結果OKになったのだが、最後の交渉のときに、地球の反対側から125にエントリーでスペインでは125がメインレースで、もしチャンピオンを負かしても1人だとまぐれとも言われるかもと、ランキング1位と2位をまとめて負かしてしまえばスペインはすごいなと思うんじゃないかと(^^)

それで、私のエントリーはOKになった。

しかしその後のフェリーさんから「高田、スペインでは10位以内に入るようにと」え????

でないと、毎回交渉しないといけない。10位以内に入ればその時点でランクが1に入って、次からは、交渉しなくてもエントリーはできると。(汗^^)(スペインで9位に入りその後のエントリーはOKになったが、毎回ナンバーが変わっていた